Bird Lives: 没後 その1
(改訂第2版:草案)


この文章は、素晴らしいパーカー・トリビュートサイト"Bird Lives"掲載の文章を、著者Llew Walkerさんのご好意により、私が和訳したものを掲載したものです。義務教育レベルの英語力で「エイヤァ」と訳したものですので、問題のある個所がいくつもあろうかと思います。間違いをご指摘いただけると幸いです。
また資料的な使い方をする場合は、くれぐれも原文を参照いただきますようお願いします。 (よういち)

原文はこちら:"Bird Lives: The End and After"


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「パーカーの死に関する神秘的なことがらのほとんどは大部分説明がつけられているが、うわべの決めつけが機械的に受け入れられてしまっていることが本当に注目すべき点なのかもしれない(それは生前のことについても然り)。より奇妙な話こそもっともらしく受け入れられているのだ。」
~オリン・キープニュース1956年

チャーリーの死は神秘と陰謀に包まれている。終幕で評論家は死にまつわるささいな事柄に余計な記号を付加してしまった。
役者は事実を疑い、いわれなき意味付けをしようとする。チャーリーの死は長年の過剰なふるまいで肉体が消耗したためである。すなわち麻薬やアルコールの乱用である。だが、精神面の問題や、消化性潰瘍、心臓疾患、高血圧などの肉体面の苦痛が、物事を複雑にしている。死亡証明書では肺葉性の肺炎と記載されている。肉体上にもそれ以外の形跡はない。それでもなおいろいろな死亡の解釈が神秘的な姿で残されており、陰謀的な理論家や扇情的なジャーナリズムを満足させている。事実が重要ではなく面白い話が彼らには大切なのだ。

とはいえ、チャールズ・パーカー・ジュニアの死に目を向ければ、そこには情状酌量の事情もいくらかある。
多くの人が下降へのスパイラルの始まりと見なしている大きな出来事が、ちょうど一年前にあった娘プリーの死である。チャーリーの健康は損なわれてはいたが、これを機に彼のアルコール摂取は増えて、それが潰瘍を悪化させたのだろう。チャン曰く、晩年の彼は潰瘍で毎日苦しんでいたとのこと。ヘロインをやめたことも健康に影響していたのだろうし、苛立ちを露わにしていたことも予想される。おそらく精神分裂症も2度の自殺未遂の一因となった。ベルビュー病院へ何度か入院した際に電気ショック治療を受けた疑いもあり、それも影響していそうだ。

また、チャーリー自身、死を予言していたと多くの人が証言している。
チャンとドリスによれば、彼は死への思いにとらわれていたとのこと。チャーリーはニカ・ドゥ・ケーニグスウォーターには「僕はただの殻くずだよ」と言っていた。ドリスに送った詩には「死は今そこにある」と述べられている。シカゴの寒い2月の夜にジョー・セガールがコートを着るよう伝えたところチャーリーはこう答えた。
「次の冬を体験したくはないね。肺炎が迫っているよ。」
チャンは語る。
「バードは死への思いにとらわれていたわ。たぶん父親の殺人に由来していたのね。死はバードがいつも誘いかける恋人だった。それはかつてプリーの前にも現れた。不吉にも、彼は私からも”死の臭いがする”と言って、死を近づけようとしたの。(・・・)けれどバードの乱暴さ、死への求愛は結局彼自身に跳ね返ってくることになった。」

チャーリーは3月12日にボストンのストーリーヴィルクラブでの演奏予定があり、3月9日にジャズのパトロン、バロネス(男爵夫人)・パノニカ・ドゥ・ケーニグスウォーターの居るスタンホープ・ホテルの部屋に滞在した。男爵夫人はジャズ界の偉大なパトロンで、皮肉にもセロニアス・モンクも晩年、彼女のニュージャージーの家で世話を受けた。

医者はチャーリーとその音楽を知らなかったが、レコードを聴くと興味を示した。
男爵夫人とチャーリーは彼に何のレコードを聴かせようかと検討して、ストリングスのアルバムの演奏「April in Paris」に落ち着いた。医者がその演奏に感銘を受けるとチャーリーは喜んだ。チャーリーは将来新しいビッグバンドを結成しようと検討していたらしい。「それは皆を打ちのめしてしまうものになるだろう」とのことだ。

3月12日午後8時45分、TVでのドーシーブラザーズショーを観てチャーリーは笑い、咳をしはじめ、数分のうちに長いすにもたれかかったようにして彼は亡くなった。死の瞬間おびただしい雷鳴が響いたのを男爵夫人は覚えている。それはベートーベンやモーツァルトの時と良く似ている。

男爵夫人はチャーリーの死を知らせようとチャンを探した。だがチャーリーはチャンの居場所を知らせようとしていなかったらしい。彼の様態が回復するまで誰にも知らせたくなかったようだ。一転、男爵夫人はチャンにチャーリーの死を新聞やラジオで知るのではなく、せめてしかるべき友人から知らされるようにと努めることになる。
まる1日かかり(2日かかったという説もある)ついにチャンの居場所を突き止めた。その間チャーリーの遺体は死体公示所に安置され、「ジョン・パーカー」とタグが付けられ53歳と見なされていたようだ。だが男爵夫人は間違ってタグ付けされていたことを否定している。男爵夫人はチャーリーの死に取り乱して、後に彼女自身も中毒にかかってしまう。

マックス・ゴードンの自叙伝『Live at the Village Vanguard』でのニカ男爵夫人はまた別の話をしている。
「何でも聞いてください。ただバードのことは別。ご周知以上のことは、新聞に載っています。バードはなんてひどい状態だったかなど。もちろん新聞が全てを伝えているわけではありませんが。彼はトミー・ドーシーのレコード"Just Friends"を聴いていました(彼はトミー・ドーシーの大ファンでした)。すると突然血を吐いて、飛び上がり、叫び声をあげて、私の足元に倒れました。私はかかりつけの医者を呼んだのですが、スタンホープの高級ホテルの医者は来ませんでした。白人女性の部屋で死にそうになっている黒人を診ようとはしなかったのです。」



(続く)


2007.12.16 Llew Walker
日本語訳 よういち



This text is from "Bird Lives" translated into Japanese,
with permission granted by Llew Walker.

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