Bird Lives: ヤードバード

この文章は、素晴らしいパーカー・トリビュートサイト"Bird Lives"掲載の文章を、著者Llew Walkerさんのご好意により、私が和訳したものを掲載したものです。義務教育レベルの英語力で「エイヤァ」と訳したものですので、問題のある個所がいくつもあろうかと思います。間違いをご指摘いただけると幸いです。
また資料的な使い方をする場合は、くれぐれも原文を参照いただきますようお願いします。 (よういち)

原文はこちら:"Bird Lives: Yardbird"


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チャーリー・パーカーにまつわる謎は、彼の生活と、人々による彼にまつわる思い出が、いくつも入り混じって矛盾をはらんでいることが一因だ。”ヤードバード”や”バード”のあだ名についても例外ではない。

テディ・ブルームは語る。
パーカーはいつもクラブの庭(ヤード)にいて建物内のバンドの演奏を聴いていた、だから”ヤードバード”と名がついたのだ。彼はまだ若かったのでクラブの中に入れなかった。だから外でサックスを持って練習していたのだ。ときどき路地で寝ているところも見かけたとテディは言う。

ジェイ・マクシャン楽団がネブラスカ大学での演奏の仕事に行く途中だった。農園を通ったとき、チャーリー・パーカーの乗っている自動車が、道路を横切ろうとするニワトリを轢いてしまった。マクシャンは語る。
「チャーリーは運転手にこう言った。”おい、戻れ。ニワトリ(ヤードバード)を轢いちまったぞ”。引き返すと、奴は車を飛び出しそのニワトリを拾ったんだ。そしてリンカーンにつくと、奴はその日泊まる宿舎をやっているおかみさんに、このニワトリを晩飯として料理してくれるよう頼んだんだよ。」

パーカーはかつて、次のように語ったことがある。幼い彼のいとこが”チャーリー”とうまく発音できず、”ヤーリー”としか言うことができなかった。これが次第に、ヤール、ヤード、ヤードバード、バードと変化したのだ、と。

彼の好物がチキンだったことは有名だろう。チキンは庭で飼われている鳥だ。だから”ヤードバード”だ。

「鳥のように自由だから」という説もある。この説の一派は、彼の演奏は何も束縛なく、自由なのだと思っている。一方、ボブ・ウォレスは次の逸話を覚えている。
お客:「あんたがこの町にやってきたチャーリー・パーカーですか」
バード:「いかにも、そのとおりですが」
お客:「おお、ぜひ私に、古きよき”なつかしき横丁のブルース”を演奏してくださいよ。わかるでしょう、つまりメンフィス・スリムのようにですよ。」
パーカーは、ピアノ奏者へ振り返って告げた。「”ホワイト・クリスマス”だ。テッド。」 テンポはこの上なくごきげんだった。どれだけ乗っていたかわかるだろう。彼は何小節も吹き続け、そのどれもが異なるフレーズだった。そして最後に。
お客:「ちょと、ちょっと。まさしくヤードバードじゃないですか。わかりましたよ。あんたは、本当に空を飛びまわってますね。」
バードはじろっと睨みながらサックスをケースにしまって、毒づきながら出て行った。

カーメン・マクレエは語る。
「”バード”というあだ名はヤードバードからきているのよ。彼はちょっとだけ軍隊で働いていたことがあるの。”ヤードバード”は新参兵のことを言うの。」
マクレエへの失礼を承知で言うと、パーカーが軍隊にいたという話はない。

バディ・コレットは語る。
「あだ名がいつ頃ついたのか、バード自身は、カンザスに居た14歳か15歳の頃だと言ってたよ。ジェイ・マクシャン楽団に入って以降のことではないんだ。チキンを食べただとか、道路で車に轢かれたニワトリを拾っただとか、そんな話とは関係ない。彼はそういった話にうんざりしていたよ。バード自身が話してくれたのはこうだ。彼はいつも朝4時、5時頃に起き出して、すぐそばの公園でサックスの練習をしていたんだ。そのときいつも友達を1人は連れ出したんだ。ドラマーとかベーシストとか、こんな早朝に起きられる奴をだ。ごきげんに屋外でやっていたらしい。警官が車で通りかかって手を振っていたそうだ。住宅地から離れてやっている限りは、警官達もその練習を許していたんだ。バードのあだ名はその時ついた。公園からよく彼のアルトの音色がかすかに聞こえてきたので、皆は彼のことを”バード”と呼び始めたんだ。」
~Jazz Generations: A Life in American Music and Society. Buddy Collette with Steven Isoardi. Continuum Books. 2000

バスター・スミスは、”ヤードバード”のあだ名がどんなふうに生まれたのか、2つの説が合わさった逸話を思い出す。
「ある夜、奴は仕事を中断してこう言ったんだ。”俺は家に戻ってヤードバードを一羽ひっつかまえてくるよ。” そこで従業員達は聞いたんだ。俺も聞いた。”ヤードバードって、そりゃなんだい?” ”鶏肉を一個取ってこようってことだよ。” ・・・奴はニワトリを一羽捕らえて、絞めた。おそらくその時は親が家にいて、料理してもらったんだと思うね。もう夜更けだったが、そんなこと奴にとっては関係ない。まあそんなことがあって、従業員達は奴をヤードバードと呼び始めたのさ。それが奴の・・・(言動不明)。・・・もう奴を”チャーリー”と呼ばなくなったね。”ヤードバード!” と呼べば、奴は振り向いて”やあ!” と返事をするんだ。」

ディジー・ガレスピーが自伝の中で、チャーリーと初めて会ったことについて語る場面に脚注を記している。
「チャーリー・パーカーのブルージーなシンコペーションを持つスタイルは、”オールド・ヤードバード”であるカンザスのサックス奏者のひとり、バスター・スミスの影響によるところが大きい。私は”オールド・ヤードバード”の演奏を聴いたことはないが、彼のうわさは聞いていた。」
この記述にしたがえば、チャーリーはバスター・スミスからあだ名を引き継いだということなのだろうか? ということは、チャーリーは”ヤング・ヤードバード”と呼ばれた時期もあったということか? 

ここにアール・ウィルソンが別の考えを述べた記事がある。
「中西部からビ・バップの音楽がやってきたときは驚愕した。その中心にチャーリー・パーカーは居た。”現在最高の奏者”の呼び声高いアルトサックス奏者、カンザス・シティからやってきた30歳に満たない黒人で、今は”ヤードバード”と呼ばれている。”ヤードバード”とは、社会的安定性に欠けていて、あちこちを転々としているニワトリを意味している。チャーリーはクラブのドアからちょっと出て行って、そのまま2、3晩ほど姿を見せないこともあった。と思えば、・・・(判読不能)で、彼はバギーパンツにノーネクタイのシャツを着て、時折ガロッシュの長靴を履いていた。」
~Earl Wilson - Syracuse Herald Journal 2 June 1948






2005.10.22 Llew Walker
日本語訳 よういち




This text is from "Bird Lives" translated into Japanese,
with permission granted by Llew Walker.

Permission granted by Doris Parker under license
by CMG Worldwide Inc. USA


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