「Bird 2000」トークセッション第4回 岩浪 洋三 氏
~ディジーの語るパーカー、映画「BIRD」のこと、カマリロ病院を訪ねて~  

 

え~、皆さんこんばんは、岩浪です。

ぼくはやっぱり、一番好きなインストゥルメンタリストはチャーリー・パーカーなんですけど、ただ辻さんとかここにお集まりのお偉い方のようにパーカーの珍しいものなんか何も持っていないんですね。ただ2,3ジャズメンと会ったりしてチャーリー・パーカーの話を聞いたりしたんで、そんな話をちょっと紹介したいとおもうんですけど。

ディジーの語るパーカー

チャーリー・パーカーの仲間の一人だったディジー・ガレスピーが日本の斑尾高原のジャズ・フェスティバルへきた晩年の頃に会って、いろいろ話を聞いたんです。
岩浪 洋三氏 語る
岩浪氏

まあ、ガレスピーの言うことっていうのは、ジョージ川口と同じでホラ話も多いんでどこまで信用していいかわからないんですけど。彼、自分のひいばあさんはアフリカの酋長の娘だったとか言ってました、だから俺はアフリカの衣装でステージにでるんだとかそんなことも言ってました。

チャーリー・パーカーの伝記映画で「BIRD」というのがありますよね、クリント・イーストウッド監督の。彼にあれのことをちょっときいたら「俺はあの映画は嫌いだ。良くない」という。なぜかっていったら「俺のところに何も話を聞きにこなかったうえに、あの映画は暗すぎる」って言うんですね。

チャーリー・パーカーという男は、本当に冗談と馬鹿話が好きで、もうとにかく明るい、本当にあんな楽しい男はいない。でも、あの映画はとにかく暗すぎると、あれじゃあパーカーの一面しか描かれていないから、俺はあの映画は嫌いだ、と言ってましたけど。

僕もあの映画あんまり好きじゃないんですね。

映画「BIRD」のこと

あの映画は、ワーナーが一度没にした脚本をクリント・イーストウッドが自分で買って映画化したんですけど、あの映画はチャン・パーカーという白人のカミさんがひとりいい子になっている映画で、僕はあれ嫌いなんです。
もっとパーカーの女性関係は複雑で、昔、村岡貞さんというHot Clubの会長がスイング・ジャーナルに「チャーリー・パーカーの女体遍歴」という大変すばらしい原稿をだしてくれて・・・、そのときの編集長は僕でしたけど。とても素晴らしい、とにかく酒・女・歌のひとだったんで。

どうもあの、ジャズ映画っていうのは、皆女性との事を単線的に描きすぎて、「ビリー・ホリデー物語」なんかも全然おもしろくなかったですけど、もっともっと黒人の女性とのからみとか、もっとパーカーの本当の人間味をだしてほしいとおもったし。あのパーカーを演じたフォレスト・ウィテカー、外国ではなんか演技賞をもらったそうですけど、パーカーとか芸術家の持つそのオーラみたいなものが全然、顔の形は似てても、精神が似ていないというか、余り良くなかったと思うし。あの映画の脚本はチャン・パーカーが脚本にも自分で参加してるんですね。ですから自分ばかり良く出来てて・・・。もう一回チャーリー・パーカーの伝記映画を作り直して欲しいっていうのが僕の気持ちなんです。ただね、あのパーカーの本当の演奏を使ったというところだけは誉めてあげたいと思うんですけど。
で、クリント・イーストウッドという人、ロスでちょっと一回会ったことがあるんですけど、彼はお父さんが大変なジャズファンで、サンフランシスコにいた頃親父に連れられて一回だけパーカーの生を聴いた事があるそうですね。それでやっぱりクリント・イーストウッドもパーカーが好きで映画を作ったっていう・・・、そういう出発点は立派なんですけど。
それであの映画の音楽の監督はレニー・ニーハウスという人がやってますけど、今クリント・イーストウッドの映画のほとんどはレニー・ニーハウスがやってます。去年のモントレージャズ祭に「クリント・イーストウッドの夕べ」というのがあって、演奏はしませんでしたけどレニー・ニーハウスをつれてきて挨拶させてました。
実はクリント・イーストウッドという人は軍隊にいたときにバンドを組んでまして、そのときバンドリーダーがレニー・ニーハウスでアルトを吹いて、クリント・イーストウッドはピアノを弾いてたそうですね。で、そのとき以来、まあ戦友というか、非常にレニー・ニーハウスと仲良くなってクリント・イーストウッドは自分の映画にみんなニーハウスを起用しているようです。

カマリロ病院を訪ねて

パーカーの曲に「Relaxin' at Camarillo」というのがありますね。カマリロはたしかサンフランシスコの近くですよね。
去年、友達に会いに行くんでロスからサンフランシスコの方に車を走らせたんですね。小さな山を二つぐらい抜けて、そうですねロサンゼルスから一時間ちょっとぐらい走りましたかしら。そしたら、ロスというのはもともとが砂漠ですからあまり木が育たないんですが、山を越えて出たところがものすごく風光明媚で緑が美しくて太陽がさんさんと降り注いで、ここどこだろうと見たら、そこがカマリロだったんですね。
僕は別にカマリロの病院に用があったわけじゃないんですけど、たまたま人に会いに行ったら、本当に風光明媚で、なるほどこういう所で静養すれば麻薬も抜けるのかなという、そんな感想を持ちましたけど。

Verveのパーカー

僕は割とへそ曲がりで、先輩のジャズ評論家が「Verveのパーカーはだめだ」「Verveのビリー・ホリデーはだめだ」と言うのに反抗して評論家になったようなものですけど、ですからパーカーもVerveのが一番好きだし、ビリー・ホリデーもVerveが一番好きなんです。Verveのマイルス・デイビスがけなげにパーカーの後からついていってる「K.C. Blues」、カンザス・シティ・ブルースを聴いていただきたいと思います。

(会場に「K.C. Blues」が流れる)


[日本チャーリー・パーカー協会 辻会長 補足]

わたしも、いま話の出たチャン・パーカーとはずいぶん仲良くて彼女の家に何回も行っていろんなことがあったんですけど。
彼女自身は、クリント・イーストウッドの「BIRD」のいろんな手助けをしたのは誇りに思うと言って、アメリカはもう絶対行きたくなかったけどその時だけは行ったんだ、と言ってたんですけどね、もう亡くなりました。
パリの郊外ですね、パリから車ですっとばすと一時間半ぐらいのだだっ広い、もう見渡す限りの平原の中にぽつんと村があってそこに住んでました、ええ。
その前の奥さんドリス・パーカーはちゃんとパーカーと結婚して、チャン・パーカーは籍は入れないんだけど子供はいるという・・・。チャーリー・パーカーはなにしろ「チャーリー・パーカーと女性」という本を書いたら、こんなに書けるんですね。うらやましいですね、天才は。もう黒人のチャーリー・パーカーに対して白人の女の人が押し寄せてきてね、もうやり放題という、そういうね・・・、こんなこと言っちゃいけないのか。まあ、天才は良いんですよね。別にね。あと50年100年たったら、モーツアルトと同じように扱われますから。はい。

 

2000年11月25日「Bird 2000」トークセッションより

2001.10.24 編集:よういち

資料・写真提供:辻バード氏

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