パーカーの絶頂期  

 

パーカーの絶頂期とはいつごろでしょう。
いきなり最初から私の結論を述べると、「わからない」というミもフタもないものになります。

パーカーの何をもって絶頂期とするのか、その判断が大きな壁となって立ちはだかってくるのです。
一般的にみた、パーカーの特徴、良さ、とはどんなところでしょう。皆の一致するだろう要素を、私のおもいつくままに挙げてみます。

Copyright (C) 1979 William P. Gottlieb
THREE DEUCES presents BIRD
・超人的なテンポで演奏可能な、サックスを吹くスピード
・汲めども尽きぬ泉のような、豊かで変幻自在なメロディー
・聴衆を興奮のるつぼにおとしいれるなまなましいスリル
・天井を突き抜けるような音色
・しなやかで弾力のある力強いサックスの切れ味

まあ外見的な良さだけでもこの位は挙げられるでしょう。だいたいは衆目の一致するところだとおもうのですが。試しにこれら要素ごとにそのピークを追ってみましょうか。

まずはスピードですが、年代を追っていっても、その時その時の瞬間最大風速は露骨にはおとろえないような気がします。’47年にSAVOYで「Bird Gets The Worm」を吹いていたあたりが一番速いような気もしますが、’52年あたりもロックランドパレスなどで超アップテンポのサックスを存分に味わえます。また’54年の最晩年になっても、かなりあぶなかしい所はあるものの、「Cherokee」の演奏をだいたい昔と同じテンポに保って吹いています。パーカーは、枯れてしまったからといってテンポを落としてゆったりと吹くようになるミュージシャンではないようです。
ただし、そもそも私の考えでは、パーカーは速ければいいというものでもないとおもいます。わたしには速さで全盛期を推し量ることはできないです。個人的には「ほどほどに速い」くらいのスピードが一番パーカーの資質の生きてくるスピードのようにおもいます。

メロディーとスリルは反比例しているような気がします。

メロディーについては、「汲めども尽きぬ」という言い方が一番ふさわしいのは’46、’47年くらいのような気がします。’48年あたりから様子がかわってくるのですが、その変化がよくわかるのが「The Complete Dean Benedetti Recordings Of Charlie Parker」です。このBOX物は’47年の西海岸に居た頃と、’48年にN.Y.へ戻った頃にソースが別れていますが、ライブ時の状況の違いはもちろんあるでしょうが、演奏に受ける印象がまるで違います。
’47年はゆったりと余裕たっぷりに演奏していますが、メロディーのみに注目してみると、それこそ変幻自在です。演奏の中で、ここはパーカーフレーズがでてくるなとおもったところでも、するすると脇道を抜けていくように、ひとあじもふたあじも違ったメロディーを聞かせてくれます。
一方’48年は「汲めども尽きぬ」というよりは、メロディーに挑みかかる感じが強くなってきます。一音のみを執拗に吹き続けているかとおもえば、一瞬をとらえて狂ったようにダブルタイムのフレーズをたたきつけて、ある瞬間にはサックスが高音の雄たけびを上げます。しかし、その裏で確実にパーカーフレーズといったものがかたまっていきます。50年代に入ると、完全にパーカーフレーズとしての形式は確立してしまいます。

しかしながら、’47年の音源に比べると、スリルといったものは確実に’48年からのほうが増しているようにおもいます。勝手に私がおもう理由の一つにはなんとなく、リズムセクションの発達があるような気がします。マックス・ローチなどの叩き出すリズムが、パーカーのする無茶の土台として耐えられるものになったのではないでしょうか。もうひとつはメロディーがパーカーフレーズとしてかたまってきたのが、かえってパーカーの飛翔の自由度をひろげたような気がします。フレージングよりも演奏の飛翔感に集中できるのか、特にリズム的に無茶をすることが多くなったような気がします。そのため、調子が悪ければパーカーフレーズの羅列の目立つものになってしまうものの(たとえば「語尾」が皆一緒になってしまう部分が増えてくる)、本当に調子の良いときはアナーキーなスリルに満ちた演奏をたのしめます。

そして、あとはサックスの音色と切れ味ですがこれは非常に判断が難しい。

というのも、録音によってまったくかわってしまうので、パーカーのサウンドのよしあしを公平に判断できないのです。パーカーの音源のなかには年代を問わず、たまに、説明が非常に難しいのですが、ざっくりとした切れ味と音色の分厚さを感じさせない、「ヘロヘロ」としたサウンドが聞こえてくる場合があるのです。良い環境で聴けば、本当はとてもすごいんだろうな、とわかってはいるんですが。
こういう音源は、マイクを舞台に設置して録音した、ラジオ放送や大きいコンサートなどにありがちです。「パーカーの録音」で述べたのと同様、サックスとマイクの距離の近すぎるのが悪影響を与えるようにおもいます。スタジオ録音と違って、ライブでの収録装置はパーカーの時代にはさすがにちゃちなものしかなかったようで、音が鮮明なわりには、なんというか、ダイナミックさのまったくないものになってしまいがちです。
そのため、音色と切れ味のよしあしのピークをはかるには、データの公平さに欠けているものが多すぎて私にはちょっと難しいです。
もしパーカーの音色と切れ味を楽しもうとするなら、年代で選ぶのではなく、録音で選ぶべきだとおもいます。

このように、各要素に分けていってみても、パーカーの総合的なピークを判断するのはとても難しいようにおもうのです。
ただ、年ごとに、体調ごとに(ヘロインのきき具合によって?)パーカーのサウンドは様々な側面をみせます。

だから私たちは、どんなパーカーでも追い求めていくのでしょう。

そして一方で、もっとも大切なことは、パーカーがパーカーミュージックを一生貫き通したことです。エネルギッシュで油の乗り切っているときも、ぼろぼろに朽ち果てていくときも、やっている音楽はまぎれもないチャーリー・パーカーミュージックでありました。

だから私たちは、どんなパーカーでも追い求めていくのでしょう。    

 

1999. 3. 3 よういち
 

 

Photos in this page is from "The Golden Age of Jazz" by William P. Gottlieb
Copyright (C) 1979 William P. Gottlieb ,All rights reserved.

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